美しき母のやきもち-「Mother」 [Mother]
「Mother」第5回。
今回は、何故あれほどまでに育ての母(高畑淳子)が、
実の母(田中裕子)を執拗に責めていたのか、明らかになりました。
私はてっきり、田中裕子が松雪泰子を捨てるに至った過程で、
重大な人道的問題があり、そのことに対して憤ってるのかな?と思っていたのですが…
そんな社会的見地から見たような、大局的な気持ちで憤っていたのではなく、
非常に個人的な感情が高畑淳子をつき動かしていました。
物語上では、慈悲深い鉄の女のように見えた高畑敦子も、
不安に揺れる気持ちを持っていたんですねぇ。
娘が大好きで、娘をとられたくない一心からの行動が、
田中裕子への態度に表れていたと言うことを知り、
その裸の心にとっても胸を打たれてしまいました。
余裕のないギリギリな感じ、でもその分いとおしくて抱きしめてあげたいような。
その冷静じゃなさ加減が、思いの深さを伝えてましたよね^^
グッとくるシーンでした。
親子の愛に、一対一という倫理上の制約はありませんが、やきもちは確かに存するのでしょう。
無意識ながらも、所有の意識、帰属の意識というものがあるはず。
愛情が深ければ、そこを犯すものを排除しようという気持ちになって当然ですよね。
劇中語られた、高畑淳子の苦労と努力を思えばなおさらです。
さらに、田中裕子が実の母と気づいた松雪泰子の様子も語られました。
捨てた時の事情に関しては、未だに謎ですが、
田中裕子、そのことをとっても悔いているようですし、今は大きな愛もくれているようです。
長い時間そんな気持ちでいてくれたことを証明する預金通帳もでてきました。
しかし、捨てられたことによって負った心の傷、
それと常につきあわされてきた自分を思うと、にわかには受け入れられない様子でした。
当然ですよね。
そうしないと、それまでの自分自身にたいして筋が通りませんし、
育ての母に対する義理も果たせません。
これまでの自分は、なんだったんだ、ということになってしまいます。
でも…
そういう事って、結局人間の幅を狭くすることにつながってしまうのかも…
捨てた時の事情、なにかありそうだし、それを聞いて、
もし、納得できる事情であるならば、実のお母さんのこと、
受け入れてあげてもいいような気もしますが‥・
心の底では愛しい人なんじゃないのかな?
無条件で味方になってくれる人、なかなかいるものではないし。
どうでしょう?
田中裕子にしたら、自分の体調を考えると、
密に付き合えば再び迷惑をかける事になりそうなのがまた辛いですよね。
今は松雪泰子の力になっているだけに、嫌われるのが不憫な感じもしますが、
バランスが大事なのも確かだと思います。
そして、そういった複雑な思いは、つぐみちゃんと彼女の実の母を考える時、
逆の立場として松雪泰子に降りかかってくる問題でもありますね。
物語を見てる方として、田中裕子は受け入れられても、
つぐみちゃんの実の母の方はスンナリとはいきません。
当事者のつぐみちゃん、どう判断するんでしょうか。
前回、非常に俗物っぽい動きを見せた山本耕史。
今回は、その内面を垣間見ることができました。
やはり、ただの俗物というわけではなかったようですね。
松雪泰子への行為は、
虐待された子を助けられなかった過去の自分と向きあう行為だったようです。
プレッシャーをかけ、踏み出せなかった自分と同類におとしめることで、
自分の弱さへの言い訳をしたかった、ということだったのかもしれません。
20数年前の自分を演じた高畑淳子。
カトリーヌ・ドヌーブ風でした。
母の日に白いカーネーションだった子は、みんなカーネーションが嫌いだったでしょうね~
<関連記事>
最終回、つぐみちゃんがくれた奇跡の一日-「Mother」
最終回を前に、怖い展開に-「Mother」
希望への旅立ち、そして無情の天気雨-「Mother」
道木怜南との二度目の決別-「Mother」
命より大事な用事-「Mother」
つぐみちゃんを帰そうとする三つの力-「Mother」
山本耕史って…-「Mother」
子から母への無償の愛-「Mother」
母になり、そして母を訪ねる-「Mother」
大人びた詩人な少女に惹かれた女:松雪泰子-「Mother」
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今回は、何故あれほどまでに育ての母(高畑淳子)が、
実の母(田中裕子)を執拗に責めていたのか、明らかになりました。
私はてっきり、田中裕子が松雪泰子を捨てるに至った過程で、
重大な人道的問題があり、そのことに対して憤ってるのかな?と思っていたのですが…
そんな社会的見地から見たような、大局的な気持ちで憤っていたのではなく、
非常に個人的な感情が高畑淳子をつき動かしていました。
物語上では、慈悲深い鉄の女のように見えた高畑敦子も、
不安に揺れる気持ちを持っていたんですねぇ。
娘が大好きで、娘をとられたくない一心からの行動が、
田中裕子への態度に表れていたと言うことを知り、
その裸の心にとっても胸を打たれてしまいました。
余裕のないギリギリな感じ、でもその分いとおしくて抱きしめてあげたいような。
その冷静じゃなさ加減が、思いの深さを伝えてましたよね^^
グッとくるシーンでした。
親子の愛に、一対一という倫理上の制約はありませんが、やきもちは確かに存するのでしょう。
無意識ながらも、所有の意識、帰属の意識というものがあるはず。
愛情が深ければ、そこを犯すものを排除しようという気持ちになって当然ですよね。
劇中語られた、高畑淳子の苦労と努力を思えばなおさらです。
さらに、田中裕子が実の母と気づいた松雪泰子の様子も語られました。
捨てた時の事情に関しては、未だに謎ですが、
田中裕子、そのことをとっても悔いているようですし、今は大きな愛もくれているようです。
長い時間そんな気持ちでいてくれたことを証明する預金通帳もでてきました。
しかし、捨てられたことによって負った心の傷、
それと常につきあわされてきた自分を思うと、にわかには受け入れられない様子でした。
当然ですよね。
そうしないと、それまでの自分自身にたいして筋が通りませんし、
育ての母に対する義理も果たせません。
これまでの自分は、なんだったんだ、ということになってしまいます。
でも…
そういう事って、結局人間の幅を狭くすることにつながってしまうのかも…
捨てた時の事情、なにかありそうだし、それを聞いて、
もし、納得できる事情であるならば、実のお母さんのこと、
受け入れてあげてもいいような気もしますが‥・
心の底では愛しい人なんじゃないのかな?
無条件で味方になってくれる人、なかなかいるものではないし。
どうでしょう?
田中裕子にしたら、自分の体調を考えると、
密に付き合えば再び迷惑をかける事になりそうなのがまた辛いですよね。
今は松雪泰子の力になっているだけに、嫌われるのが不憫な感じもしますが、
バランスが大事なのも確かだと思います。
そして、そういった複雑な思いは、つぐみちゃんと彼女の実の母を考える時、
逆の立場として松雪泰子に降りかかってくる問題でもありますね。
物語を見てる方として、田中裕子は受け入れられても、
つぐみちゃんの実の母の方はスンナリとはいきません。
当事者のつぐみちゃん、どう判断するんでしょうか。
前回、非常に俗物っぽい動きを見せた山本耕史。
今回は、その内面を垣間見ることができました。
やはり、ただの俗物というわけではなかったようですね。
松雪泰子への行為は、
虐待された子を助けられなかった過去の自分と向きあう行為だったようです。
プレッシャーをかけ、踏み出せなかった自分と同類におとしめることで、
自分の弱さへの言い訳をしたかった、ということだったのかもしれません。
20数年前の自分を演じた高畑淳子。
カトリーヌ・ドヌーブ風でした。
母の日に白いカーネーションだった子は、みんなカーネーションが嫌いだったでしょうね~
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